今日もまた、予定通りにはいかなかったと、散らかった保育室を見渡し、「なぜ保育がうまくいかないのだろう」と一人ため息をついていませんか?
ここでは、現場に16年いて同じように悩んできた元専門リーダーの保育士が「うまくいかない」と悩んでいる保育士に本当に大切なことをお伝えします。
結論から伝えます。小手先のテクニックで保育をうまくなったつもりになっては、同じ悩みをいつまでも繰り返します。
必要なのは一般的な記事で書かれている「メモを取る」「笑顔で接する」などといったテクニックではありません。「保育って何だろう」と自分を見つめる問いこそが、一番大事な保育士の仕事なのだと考えています。
では、さっそく保育の質を高めるために「うまくいく保育」を紐解いていきましょう。
保育現場で予定通りに進まず「保育がうまくいかない」と抱える葛藤

保育の現場は、分刻みのスケジュールで縛られています。しかし、目の前にいるのは感情のある子どもたちです。
計画通りに進めることは圧倒的に難易度が高いのに、多くの保育士が「予定通りに進まない現実」を「自分の保育がうまくいかないせいだ」と自己嫌悪にすり替えてしまっています。
決められた保育スケジュールと教育的ねらいから「うまくいかない」と感じてしまう
予定通りに進めなければと焦る背景には、幼保小連携という名のもとに押し付けられる「学校準備」の重圧があります。現在、小学校側からは以下のような「集団生活への適応」が暗黙の了解として求められています。
【小学校接続のための暗黙の了解3原則】
- 着座の徹底
40分間、立ち歩かずに姿勢を保って授業を聞けるか。 - 基礎的な学習能力
自分の名前の読み書きや、持ち物の自己管理ができるか。 - 感情の言語化
トラブル時に手を出さず、自分の気持ちを言葉で正しく伝えられるか。
上記はすべて、「小学校の先生が1人(多くても2人)で30〜40人のクラス運営をしやすいように、あらかじめ適応させておいてほしい」という学校側の都合です。
もちろん、就学後に子どもが困らないための支援は大切です。
しかし、真面目な保育士ほど「ここで私がしっかり指導しないと、小学校でこの子が苦労する」という強迫観念に駆られます。
その結果、今目の前で起きている子どもの自然な感情の揺れに目をつむり、無理やり保育活動を強行しようとしてしまうのです。
小学校と保育園の都合で作られた枠組みに子どもを当てはめようとするからこそ、思い通りに動かない子どもに対してイライラが募り、「自分の保育がうまくいかない」と深く落ち込む原因になっています。
感情で動く子どもたちと理想のギャップが「保育がうまくいかない」焦りを生む
「理想の保育」とは一体何でしょうか?
子どもたちが心身ともに健全に成長するために、絶対にカリキュラムを時間通りに消化しなければならないのでしょうか?
現場で起きている矛盾を整理すると、以下のようになります。
| 項目 | 園のカリキュラムが求める | 子どものありのままの姿 | 現場の保育士の葛藤 |
| 時間管理 | 9時半におやつ、10時に主活動開始 | まだ遊び足りない、気分が乗らない | 「早く片付けさせて次に進めなければ」と焦る |
| 集団行動 | 全員が揃って同じ歌を歌う、製作をする | 一人でじっくりブロックを繋げたい | 「輪に入れない子をどう誘導すべきか」と悩む |
| 感情表現 | 泣かずに「貸して」と言葉で伝える | 悔しくて手が出る、泣き叫んでしまう | 「何度言っても伝わらない」と疲弊する |
手遊びで注目を集めたり、短い言葉で区切って指示を出したりといったテクニックは確かにあります。
しかし、それはあくまで一時的な対処法であり、子ども一人ひとりの感情や行動の理由を根本からコントロールしているのではありません。
保育士が本当に向き合うべきは、園のシステムが要求する「しなければならないこと」ではなく、「目の前の子どもが今、何を感じているのか」です。
決められた箱に子どもを押し込むことを「理想」としているうちは、この苦しいギャップから抜け出すことはできません。
完璧を求める社会の認識とのズレが「保育がうまくいかない」という焦りを深くする

真面目な保育士ほど、自分の努力不足を責めます。しかし本当の敵は自分自身ではなく、保育園や保育士に対して不可能な完璧を要求する、社会の無意識のプレッシャーだと知っていますか?

まさと
ずっと疑問に感じていましたが、保育園での事故などのニュースに関してメディアはかなり深刻に取り上げます。
もちろん、深刻な問題なのですが、他の子ども向けサービスに比べると社会問題に発展していることが圧倒的に多いと感じていました。
保育園は自治体と連携しているため、国から提供される正しく、安全で、利用出来て当たり前のサービスという認識が植え付けられていると気づきました。
社会が求める「怪我させるのはおかしい」という幻想
連日報道される痛ましい事故や虐待のニュースがあります。それらを見た社会は、「一瞬たりとも目を離すな」「絶対に怪我をさせるな」という100%の安全(ゼロリスク)を現場に求めてきます。
社会が考える「質の高い保育」とは、優しい笑顔で集団をうまくまとめ上げ、元気いっぱいに遊ばせながらも絶対に怪我を起こさない子どもを預ける場所にすり替わってしまっているのが現状です。
「自分の子どもだけでも無理なのに先生たちはすごいですね」と評価してくれる保護者もいますが、やはり大怪我になると親心から「え?なんで怪我が起きるの。この保育園大丈夫?」と不安に感じる保護者は多いです。(自分も同じように感じましたから)
社会ニュースや保護者の気持ちを考えると、「優しくて愛情が深くて、面倒見がよくて園児みんなから好かれる先生」として無意識に理想にしてしまいがちですが、それらは実質キャパオーバーです。
真面目な人ほど理不尽な重圧から自分を責める
「無傷で、時間通りに、完璧に管理されて当然」この理不尽な社会からの要求されていると感じてしまうことが、責任感の強い保育士ほど無意識に自分の中に抱え込んでしまいます。
結果、以下のような負のループに陥ります。
- 子ども同士のトラブルで小さな擦り傷ができる。または予定の活動が時間内に終わらない。
- 「プロなのだから防げて当然」「管理できていない証拠だ」という世間の声を勝手に感じる。
- 「私がうまく子どもを誘導できなかったからだ」と自分の責任として背負い込む。
誰のせいでもない突発的なトラブルや、予定が少し崩れただけの日であっても、この理想化によって「私の保育がうまくいかないから……」と、自己嫌悪に陥ってしまうのです。
「保育がうまくいかない」と悩む本当の理由

現場の保育士は、無数の書類や翌日の準備に追われながら、自由奔放に走り回る子どもたちの命を預かっています。このマルチタスクが、精神を削り取っていきます。
「目を離せない」緊張感とタスク処理の矛盾
社会の厳しい監視の目に晒され続ける中、保育士は「一瞬でも目を離してはいけない」という恐怖に縛られています。
ここで、絶対に混同してはならない事実があります。
それは、「管理すること」と「一緒に遊ぶこと(保育すること)」は全くの別物であるということです。
| 視点 | 目的 | 保育者の行動と意識の向け方 | 精神的な負荷 |
| 管理の観点 | 事故や怪我、逸脱行動を絶対に防ぐこと | ・空間全体を俯瞰し、子どもから目を離さず監視する ・危険の芽を摘む。 | ・極度の緊張感 ・失敗が許されないというプレッシャー。 |
| 保育の観点 | 子どもの心に寄り添い、成長を引き出すこと | ・目の前の子どもと同じ目線に立つ ・深い共感を持って一緒に遊ぶ | ・感情労働 ・子どものエネルギーを真正面から受け止める疲労 |
安全管理のために斜め後ろの子どもに常に目を配りながら、目の前の子どもと心の底から向き合って遊ぶ。はっきり言いますが、こんな神業を1人の人間が同時にやり切ることなど絶対に不可能です。
1人で子どもから目を離さずに保育をすることはできません。それは個人のスキル不足ではなく、物理的な限界です。
だからこそ、現場での役割分担や、保育士同士の「あの子見てるね」「こっちお願い」という声掛けの連携が命綱になります。
それにもかかわらず、「全部1人で完璧にこなさなければ」と思い詰めることで「保育がうまくいかない」と感じてしまう要因になっています。
1人になれる時間がゼロで気持ちの切り替えができない
保育中、物理的に1人になって気持ちを切り替える時間はありません。
子どもの泣き声や要求、飛び交う指示など、感覚過敏になりそうなほどのノイズの中で、自分の感情が限界を超えそうになった時、あなたはどうしていますか?

まさと
僕はこうしていました。
トイレに行くフリをして個室に逃げ込み、たった2分間、トイレに座ってぐるぐると渦巻く感情をどうにか腹の底に押し込む。
「こんな精神状態で子どもの前に立っちゃダメだ」と自分を奮い立たせ、ヒクヒクと引きつる頬を両手で叩いて無理やり笑顔を作り、再び保育室のドアを開ける。
自分のイライラを押し殺し、気持ちを切り替えたふりをしながら笑顔で保育を再開する保育士も多いと思います。さらに同僚から「大丈夫ですか?」と聞かれても「大丈夫です」としか答えられないですしね。
この過酷な労働環境こそが、保育士が「どうしてこんなに保育がうまくいかないのだろう」と涙を流す本当の理由です。
同僚の目や保育観の違いから生じる「保育がうまくいかない」という複雑な悩み

保育士の数が増えれば、1人あたりの物理的な負担は間違いなく減り、子どもたちにも手厚く関われます。しかし、人数が増えればすべてが解決するほど、保育現場は甘くありません。
なぜなら、保育士が増えることで気を遣う相手が多くなるからです。
「人が増えれば解決する」わけではないのが保育園の複雑さ
複数担任制などで同じ空間に複数の大人が入るようになると、今度は「他の先生から自分の保育がどう見られているか」という強烈な視線が生まれます。
自分一人であれば、子どもの突発的な行動に対しても「今は見守ろう」と即断即決できていたことが、大人が増えることでできなくなります。
「ここで私が動かないと、サボっていると思われないか」「先輩の指示を待つべきか」という余計なノイズが頭をよぎって保育をうまくすることを考えてしまうのです。
保育観の違いや人間関係のプレッシャーが、「保育がうまくいかない」悩みを加速させる
さらに厄介なのが、保育観の違いです。
【保育観の違い】
- A先生(見守り重視)
「子ども同士のトラブルは、自分たちで解決するまでギリギリまで見守りたい」 - B先生(介入重視
「手が出る前に、大人がすぐに間に入って言葉を代弁してあげるべきだ」
このような価値観の違いが同じクラス内で衝突したとき、先輩保育士との距離感がうまく掴めなかったり、自分の意見をどう伝えるべきか悩んだりすることで、人間関係の摩擦という新たな負担が重くのしかかります。
大人が増えれば増えるほど、周囲の顔色をうかがう気遣いのプレッシャーが生まれ、純粋な子どもとの関わり以外の部分でエネルギーを奪われていく。
結果、「やっぱり私の保育がうまくいかないのだ」と、悩みがさらに複雑化していくのです。
揺れ動くこと自体が保育の質の向上!「保育がうまくいかない」から肯定する視点

予定通りにいかず、社会の理想から自分が見えなくなり、同僚の目にも気を遣ってしまう。
そんな保育士あるあるですが、こうやってきちんと悩み、もがき続けること自体が実は保育という仕事の専門性そのものだと僕は感じています。
保育は保育士と園児がいて、初めて成り立ちます。言ってしまえば「人と人とのドラマ」であると。
- どうしたら社会性が育つのか?
- 積極的にチャレンジしてくれるためにはどうしたらいい?
- この子の困り感はどこだろう?

まさと
保育の質って何?と問われますが、僕は園児の将来を考えて、関わり方を考え続けることが保育の質を高める最善の方法だと言い切りたいです。
子育てと同じく保育にも絶対の正解はなく、「保育がうまくいかない」のは当然
いくら経験を積んでも、保育に絶対的な正解や完璧なマニュアルなど存在しません。世の中には効率よく子どもを動かすテクニックが溢れていますが、それに当てはめようと焦る必要など全くないのです。
ある程度の型や科学的根拠はあっても、それが目の前のすべての子どもにピタリと当てはまるわけがありません。
一番大切なのは、目の前の子どもと向き合うことです。「うまくいった」「うまくいかない」はあくまで起こった結果であって、保育の本質ではないのです。
本当に必要なのは「じゃあ、どうしてみよっか?」と成長に向けて考えて、環境を整えて、必要なら指導案をつくってみる。
反省したら、その都度、どうするか問いかけていくことなんです。
保育士としてどうしても、感情的になる場面もあると思います。人間ですし、周りの保育士が代わりに感情の処理をしてくれるわけではありません。
感情的に園児を怒ってしまったら、自分を落ちつかせて主任や園長に報告して、保護者に一緒に謝ってもらいましょう。もちろん、園児ともお話しできればしてください。
感情的にならないためにはどうするかなども、含めて園の体制を整える必要があります。
「保育がうまくいかない」と悩む保育士は保育の質を高めている
予定通りにいかず、マニュアル通りにもいかない。そのたびに葛藤し、「保育がうまくいかない」と頭を抱えるのは、決してあなたが劣っているからではありません。
むしろ子ども一人ひとりの生々しい感情から逃げずに、真正面から受け止めている何よりの証拠です。そして保育の質も高まっていることでしょう。
社会からの無意識の圧力に押し潰されず、上手く立ち回れない自分も、予定通りに動かない子どもも、まずは「まるごと許容」してください。
「保育がうまくいかない」と悩むことが質の高い保育につながる
保育の現場は、社会からの過剰な安全要求と小学校に向けた管理のプレッシャーに挟まれ、常に保育士から心の余裕を奪い続けています。
しかし、保育とは本来、子どもたちをシステム通りに管理することでも、大人の引いたレールの上を無傷で歩かせることでもありません。
予定が崩れて焦り、感情を揺さぶられ、ひそかに涙を拭いながらも、また笑顔を作って目の前の子どもの「最善」を探し続ける。その泥臭くて人間臭いプロセスそのものが、子どもたちの心を豊かに育む最も質の高い保育なのです。
「保育がうまくいかない」と自分を深く責める必要はありません。正解のない矛盾だらけの現場で、逃げずに子どもと向き合い続けたあなたを僕は褒め称えますし、すばらしい保育士だと心から思います。
これからも、保育内容や園児の様子、保護者や同僚の対応など悩んでいくでしょうが、「どうすればいいんだろう?」と問をみつけて考える人だけが、保育士としてのキャリアを歩み続けられるのだと確信しています。